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「真の文明は、山を荒らさず、川を荒らさず、村を破らず、人を殺さざるべし」 ― 田中正造

18戸百余人の谷中村民と共に、その臨終のときまでのすべてを賭けた、晩年の田中正造の苦闘の姿に、この本の著者であり、谷中遺民を名乗る島田宗三老の姿が重なり合う。

 国家と法の名による廃村の暴挙に抗して、あらゆる苦難に耐え、自治と人間の尊厳に拠って一歩も退かなかった人びと。田中正造と谷中村民の闘いの日々を物語る感動の記録―

 ◎著者:島田 宗三(シマダ ソウゾウ)
 1889年、栃木県下都賀郡谷中村大字内野(現・藤岡)生まれ。
 1902年田中正造に会う。以後翁に随行し、1913年9月4日の臨終まで、
翁とともに谷中村問題に取り組む。

『田中正造翁余録㊤』本体2600円+税
田中正造翁余録 ㊤

『田中正造翁余録㊦』本体2800円+税
田中正造翁余録 ㊦

内容詳細はこちらを
 
上巻目次

編者序

序 章 足尾銅山鉱毒事件の概要

第一章 強制破壊まで 明治三十五年十月~明治四十年六月

第二章 谷中村の滅亡 明治四十年六月~八月
一 立退きの強要
二 その前夜
三 強制破壊
四 強制破壊の後

第三章 谷中村復活闘争の出発 明治四十年九月~明治四十一年
一 再建へ一筋の道
二 河川法適用反対の闘い
三 谷中瀦水池の欺瞞
四 碓井要作氏と谷中村問題

第四章 渡良瀬川の治水問題 明治四十二年
一 破憲破道への糾弾
二 渡良瀬川改修の賛否
三 近県への改修反対働きかけ

第五章 利根の逆流 明治四十三年
一 野木村の陳情書
二 わが関東五州は既に死亡せり
三 強制破壊三年目の谷中村
四 天の警告、利根川の氾濫
五 洪水の禍根、足尾銅山

第六章 土地収用補償訴訟の危機 明治四十四年
一 河川踏査前後の翁
二 栃木裁判所「和解」案の提示
三 欠席判決をめぐって

第七章 われら谷中を去らず
一 渡良瀬川改修と周辺町村の用地買収問題
二 谷中畦畔修築への禁止命令
谷中村問題重要日記
田中正造翁と父島田宗三(島田早苗)


下巻目次

第八章 訴訟経過と谷中村問題の本質 明治四十五年三月~大正元年十二月
一 谷中収用補償裁判と正造翁
二 法廷で激怒叱吃する翁
三 補償問題訴訟、形だけの勝訴
四 控訴まで
五 県参事会員一行の視察前後
六 控訴審準備の奔走と河川法違反公判
七 控訴審での翁

第九章 亡国亡村皆自暴自棄を痛憤 大正二年一月~四月
一 遊水池地域の買収、立退きの進行
二 亡国亡村皆自暴自棄
三 束京控訴院一行の谷中村視察など
四 最後の大演説会

第十章 不安と予感 大正二年五月~七月
一 河川視察の途上にて
二 翁の健康に衰え
三 病躯をおして有志歴訪
四 翁からの最後の手紙

第十一章 田中正造翁の死 大正二年八月~九月
一 最後の日記
二 翁、谷中への途次に姥れる
三 病臥日録その一
四 病臥日録その二
五 臨終の時
六 葬儀前後

第十二章 その後の谷中村 大正二年九月以後
一 谷中村復活運動の断念
二 萱刈り事件覚書

解説『田中正造翁余録』について(日向康)

付 録
 一 部屋警察分署長の谷中残留民居住立退き説諭に対する回答書
 二 乞食の挨拶
 三 谷中村問題解決奉告祭文
 四 直訴二題
 五 田中正造・治水論二篇
 (1)元谷中村急水留の要求及耕作回復陳情
 (2)治水工費少く成績多き先決問題請願の陳述書
 六 田中正造・河川視察略記
 七 田中正造遺稿・苗代水欠乏農民寝食せずして苦心せるの時、安蘇郡及び西方近隣
   の川々細流巡視及び其途次に面会せし同情者の人名略記 内報その一号書
 八 田中正造翁年譜(島田宗三編)
 〔付録解題〕
谷中村の結末(日向 康)
谷中村の復活(林 竹二)
編者後記
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