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前田朗『ヘイト・クライム──憎悪犯罪が日本を壊す』(三一書房労働組合)。
この本は、第一章の京都初級学校事件の考察から始まります。
現在の日本の社会状況や歴史や法律だけでなく、
人間の魂の弱さや深さにまで思考と言葉が見事に届いた、勇気あるアクチュアルな一書。まだ半ばを読了したばかりですが、大変感銘を受けています。
今回の除外の問題を、多方向から的確に考えていくための必読書です。

あの京都の事件はなぜ起こったか。
その現在的な背景と歴史的必然性とは何か。
私たち日本人の魂には、今何が起こっているのか。
そこに至るまでには、どんな社会と魂の闇の歴史が錯綜してきたのか。
「私は差別していない」のに、なぜ差別事件が起こるのか。
「差別は所詮なくならない」とどうして思うのか。
その結果この社会に何が起こるのか。
日本人はもともと特に差別的ではないはずなのに
いつどのような条件が重なれば差別へと煽動されてしまうのか。

現在の朝鮮人差別の実態と
これまでの歴史の裸形を抉りだしながら
いまだコリアン・ジェノサイドは終わっていない、と著者は鋭く指摘します。
緊急の課題としては人種差別禁止法を制定することですが
日本は人種差別撤廃条約に批准しているのに、
その制定へ依然として真面目に動こうとしていない。
何が阻んでいるのか・・・
不気味なその影はこの本を読むうちにおのずと視えてきます。

「差別の現象学」という面白いテーマも論じられています。
差別を差別者の側の病と罪から捉えようとする哲学者もいて、
その人の考察をふまえて著者はこう書きます。
「差別者の世界のリアリティは〈あなたたちの世界〉によって脅かされている、と感じられている。それでも自己のリアリティを固持するためには、別のリアリティの存在を意識の内部で抑圧しなければならない。見えているものすら見えなくなるのは、このためである。他者から不意打ちされ、世界を奪われるかもしれないという〈根源的社会的不安〉に促されて、逆に他者に不意打ちをかけ、世界を剥奪しようとするのである。」
現象学的な捉え方といえるでしょう。
そのように見れば差別は病ということになります。
しかしもちろん罪としては許されるべきではないと著者は付け加えます。
けれどし差別が病であるという捉え方からは
「差別されるという経験を人間学的に分析する中から、抵抗する主体としての思想」
が起ち上がるのだといいます。
それは「差別者と被差別の対立構図を乗り越える」ことにもつながるのだから。
そしてそこからこそ
差別者の、あるいは大多数においては「差別者の側に身を置きたくない」日本人の
主体性回復が可能になる・・
以上の論理は私たち日本人が
他者と関係する際のおのれの魂に繊細に耳を澄ませながら
みずからに誠実に赤裸々に感じ考えていくべきところでしょう。
この書についてはまた後日しっかり考えてみたいと思います。
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